スマートリーガル法律事務所

賃料減額をめぐる最近の裁判例【前編】

2026年11月1日

はじめに

「家賃を下げてほしい」という申入れは、借主から見れば当然の交渉に思えても、貸主にとっては収支計画を揺るがす大きな問題です。逆に、サブリース会社から一方的に賃料を下げられたオーナーからの相談も、沖縄県内で増えています。

賃料の減額をめぐっては、令和に入ってから最高裁判決をはじめ注目すべき裁判例がいくつも出ています。本記事では、最近の裁判例を素材に、賃料減額が「認められる場合」と「認められない場合」の分かれ目を整理します。

前編では、賃料減額の法的な根拠と、借地借家法32条をめぐる最近の判断(最高裁判決、ホテル事件、コロナ禍の事件)を取り上げます。後編では、サブリース、共有物件、設備不良・管理不備という実務でよく問題になる場面を扱います。

※各項の「実務への示唆」は、裁判例を踏まえた筆者の見解です。


前編 賃料減額の根拠と借地借家法32条をめぐる最近の判断

1 賃料減額には二つのルートがある

賃料の減額を求める法的な根拠は、大きく分けて二つあります。どちらのルートなのかで、要件も効果も大きく違います。

① 借地借家法32条(借賃増減額請求権)

建物の賃料が、①土地・建物の租税等の負担の増減、②土地・建物の価格の変動その他の経済事情の変動、③近傍同種の建物の賃料との比較によって「不相当」になったときに、将来に向かって減額を請求できる権利です(土地の地代については同法11条)。相場の下落など「賃料の額そのものが高すぎるようになった」場面で使います。

この権利は、意思表示が相手に届いた時点で効果が生じます。ただし、話合いがまとまらなければ、貸主は減額を正当とする裁判が確定するまで「相当と認める額」を請求できます。一般的には従前の賃料額がこれに当たると解されていますが、社会通念上著しく合理性を欠く額は「相当と認める額」とはいえないとされています(澤野順彦『実務解説 借地借家法〔第4版〕』(青林書院、2024年))。減額が確定すると、貸主は受け取りすぎた分に年1割の利息を付けて返すことになります(32条3項)。また、賃料の増減額をめぐる争いは、訴訟の前にまず調停を申し立てる必要があります(調停前置主義)。

32条は強行規定と解されており、「賃料を減額しない」という特約があっても、普通建物賃貸借では借主の減額請求自体は妨げられません(ただし、定期建物賃貸借で借賃の改定に係る特約がある場合には、32条は適用されません。借地借家法38条)。

② 民法611条(一部使用不能による減額)

建物の一部が壊れる、設備が使えないなど、賃借物の一部が「使用及び収益をすることができなくなった」場合に、その割合に応じて賃料が減額されるという規定です。2020年(令和2年)4月施行の民法改正で、借主が請求しなくても「当然に」減額される仕組みに変わりました。ただし、借主の責任で使えなくなった場合は対象外です。

つまり、32条は「相場と比べて賃料が高いか」、611条は「借りた物件を約束どおりに使えているか」を問題にする制度です。以下では、この区別を頭に置きながら裁判例を見ていきます。

2 最高裁令和6年6月24日判決――公社住宅にも32条が適用される

最一小判令和6年6月24日(民集78巻3号335頁、令和4年(受)第1744号)は、賃料減額をめぐる最近もっとも重要な判断です。

事案 地方住宅供給公社は、平成16年4月から平成30年4月まで、おおむね3年ごとに家賃を改定(値上げ)していました。これに対し入居者らは、適正賃料を超える部分は効力がないとして、家賃額の確認と過払分の返還を求めました。入居者らは、令和元年には32条に基づく減額請求もしていました。

第一審・控訴審は、公社は地方住宅供給公社法の施行規則(16条2項)に基づいて家賃を変更でき、この規定が借地借家法32条1項の特別の定めに当たるとして、32条の適用を否定していました。

判断 最高裁は、公社住宅の使用関係は私法上の賃貸借関係であり、法令に特別の定めがない限り借地借家法が適用されるとしました。そして、法律の委任を受けた施行規則で、32条の適用を排除して公社に別の家賃変更権限を与えることは、委任の範囲に含まれないと判断しました。結論として「公社住宅の使用関係には32条1項の適用がある」とし、原判決を破棄して差し戻しています。

その後 差戻後の東京高判令和8年3月4日(令和6年(ネ)第3387号)は、32条の適用を前提に審理し直したうえで、入居者らが支払ってきた家賃には法律上の原因があるとして、不当利得返還請求を認めませんでした(TKCローライブラリー「注目の判例」掲載の要旨による。LEX/DB25640268)。

実務への示唆 本判決は、地方住宅供給公社の住宅について、法令の委任の範囲という公社特有の論点を判断したものです。民間の契約条項の効力にそのまま当てはまるものではありません。もっとも、私法上の賃貸借である以上、法令に特別の定めがない限り借地借家法が適用されるという出発点を最高裁が確認した点は、一方的な家賃改定をめぐる紛争を考えるうえで参考になります。

3 東京高裁令和3年11月4日判決――「賃料を決めた経緯」が減額を阻む

32条の減額請求は、相場が下がれば当然に認められるわけではありません。それを示したのが、東京高判令和3年11月4日(判例時報2600号21頁、令和3年(ネ)第1558号)です。

事案 ホテル事業者が、信託財産である建物を賃借していました。約定賃料は、①この建物の賃貸事業益から別の建物の建設費を拠出する、②契約終了までに預り敷金相当額を積み立てる、③年度ごとの資金繰りを確保する、という3つの要請を前提に決められていました。ホテル事業者は、賃料が不相当になったとして減額を請求しました。

判断 高裁は、32条1項が定める事情(租税等の負担、経済事情の変動、近傍同種の賃料との比較)に加えて、当事者が賃料額を決めた事情や根拠、賃料改定特約の内容などを総合考慮して判断すべきだとしました。そのうえで、賃料を下げると3つの要請の確保がかなり困難になる一方、約定賃料を維持することが衡平に反する事情はないとして、減額を認めませんでした。

また、以前の訴訟で減額請求が棄却されていても、その判決が確定させるのは「一定の期間に減額の効果が生じていないこと」にとどまるとも判断しています(判例時報2600号21頁掲載の判決要旨による)。別の期間について、新たな減額事由を主張することは妨げられないということです。

「直近合意時点」という物差し 変動を測る起点は、当事者が実際に賃料額を合意した直近の時点です(最判平成20年2月29日判時2003号51頁。伊藤秀城『第2版 実務裁判例 借地借家契約における各種特約の効力』(日本加除出版、2018年)裁判例334)。本件でも、契約締結時から減額請求時までの変動が検討されています。なお、更新時に従前の賃料額を確認しただけでは「直近合意時点」とはいえないとした裁判例もあります(神戸地判平成30年2月21日。RETIO134号の記事で紹介)。

実務への示唆 事業用の物件では、「なぜその賃料額になったのか」を示す資料(収支計画、交渉記録、融資の返済計画など)が、減額を拒む側の強い根拠になります。契約時の資料は必ず保管しておきましょう。

4 コロナ禍と賃料減額――「売上げが減った」だけでは減額されない

新型コロナウイルスの流行で、飲食店を中心に賃料減額を求める動きが相次ぎました。裁判例では、32条・611条のいずれのルートでも、減額は認められにくい傾向が見られます。

① 32条ルート:東京地判令和3年9月30日(令和2年(ワ)第29655号ほか。山本昌平・重富智雄『自然災害・感染症をめぐる賃貸トラブル解決の手引』(新日本法規、2022年)Q31で紹介)

貸主が賃料の増額を求めたのに対し、借主は「コロナの拡大と経済情勢の悪化は32条の経済事情の変動に当たる」として、減額を求める反訴を起こしました。

裁判所は、緊急事態宣言や実質GDPの大幅なマイナス、ビルオーナーがテナントの減額に応じた事例があることは認めました。しかし、それが減額を相当とする「恒久的な経済事情の変動」に当たるかは疑問があるとしました。そのうえで、建物の価格の低下や、物価・地価の中長期的な下落は認められないとして、減額請求を棄却しました(貸主の増額請求も棄却)。

② 使用収益不能ルート:東京地判令和3年7月20日(金融・商事判例1629号52頁、令和2年(ワ)第24027号)

飲食店用の転貸借(定期建物賃貸借)で、借主がコロナによる利益の減少を理由に賃料を支払わなかった事案です。裁判所は、利益が減ったとしても、その割合に応じて貸主の「使用収益させる債務」が消滅するとはいえないとしました。また、緊急事態宣言などによっても、貸室が使用不能になったとは評価できないとして、契約解除・明渡し・未払賃料の請求を認めています。

実務への示唆 「売上げが減った」という借主側の営業上の事情は、それだけでは賃料減額の理由になりません。貸室そのものは使える状態にあるからです。(東京地判令和3年7月20日の要旨は金融・商事判例1629号52頁による。)一方、行政から罰則付きで使用を禁じられたような場合には611条の「その他の事由」に当たり得る、という解説もあります(前掲『自然災害・感染症をめぐる賃貸トラブル解決の手引』Q28)。契約書に「不可抗力で営業できないときの賃料」の条項を入れておくことが、当事者双方にとって有効な備えになります。

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