2025/12/02 労務問題
訴訟リスクから店舗を守る。弁護士が教える沖縄ダイビング事業者のための『安全配慮義務』完全ガイド

はじめに:沖縄のダイビング事業者が直面する経営と法務の現実
活況を呈する沖縄のダイビング観光と、その裏に潜む事故リスク
紺碧の海と豊かなサンゴ礁に恵まれた沖縄は、国内外から多くの観光客を惹きつけ、ダイビングやマリンレジャーは県の観光産業を支える重要な柱となっています。コロナ禍を経て観光需要が力強く回復する中、多くの事業者様が、この活気ある市場で日々奮闘されていることと存じます。
しかし、この活況の裏側で、私たちは決して目を背けることのできない現実に直面しています。それは、マリンレジャー中の事故のリスクです。海上保安庁の統計によれば、沖縄県内では毎年多くの人身事故が発生しており、その多くが県外からの観光客です。特に、経験の浅い観光客が参加する「体験ダイビング」では、予期せぬパニックや体調の急変が重大な事故に直結する危険性を常に内包しています。
一人のスタッフの些細な見落としや、少しの判断の遅れが、取り返しのつかない事態を招きかねません。それは、お客様のかけがえのない人生を預かる事業者として、最も避けなければならない悲劇です。
なぜ今、ダイビングショップに法務的な視点が必要なのか?
「うちは長年、無事故でやってきたから大丈夫」 「お客様には免責同意書にサインをもらっているから問題ない」
もし、そうお考えでしたら、その認識は現代の経営環境において極めて危険かもしれません。万が一事故が発生した場合、ダイビングショップは、民法上の「安全配慮義務」という、極めて重い法的責任を問われることになります 。これは、事業者がお客様の安全を確保するために、専門家として当然払うべき注意を尽くしていたかを問うものです。
そして、多くの事業者が頼りにしている「免責同意書」は、決して万能の盾ではありません。お客様に重大な損害が発生した場合、消費者契約法に基づき、**事業者の故意または重大な過失による損害賠償責任を免除する条項は「無効」**と判断されるのが現在の法律の考え方です 。
つまり、事故後の紛争において最終的に事業を守るのは、「同意書にサインがあるか」ではなく、「安全配慮義務を具体的に、かつ客観的な証拠で証明できるか」という一点にかかっているのです。
この記事は、単に法律の難解な話をするものではありません。沖縄の美しい海を愛し、その魅力を伝えるために日々尽力されている事業者様が、不測の事態によって事業の存続を脅かされることのないよう、法的リスクを正しく理解し、明日から実践できる具体的な対策を講じるための羅針盤です。攻めの安全管理こそが、最高の経営戦略であるという視点から、皆様の事業を守るための法務知識を解説していきます。
第1章:ダイビングショップが負う「安全配慮義務」とは何か?
万が一、お客様が事故に遭われた場合、法律の世界では「安全配慮義務」という言葉が、あなたの事業の運命を左右するキーワードになります。これは、単なる道義的な責任ではなく、明確な法的根拠を持つ、事業者が負うべき重い義務です。この章では、その本質と、裁判所がどのように判断を下すのかを解説します。
すべての事業者が知るべき法的責任の根拠
ダイビングショップとお客様との間には、サービスの提供に関する契約が結ばれています。この契約には、明示されていなくても、「事業者は、専門家としてお客様の生命・身体の安全に配慮する」という義務が付随していると、法律上考えられています。これが「安全配慮義務」です。
この義務の根拠は、主に以下の2つの法律にあります。
- 民法(不法行為責任・債務不履行責任): もし、ショップ側の不注意(過失)によってお客様が損害を被った場合、ショップはその損害を賠償する責任を負います。ここでの「不注意」とは、まさに安全配慮義務を怠ったことを指します。具体的には、「専門家であるダイビングインストラクターであれば、当然予見できたはずの危険を予見せず、事故を回避するための措置を取らなかった」場合に、過失があったと判断されます。
- 消費者契約法: この法律は、事業者と消費者との間の情報格差や交渉力の差を埋めるためのもので、ダイビングサービスもこれに該当します。特に重要なのは、事業者の過失によって生じた損害に対する賠償責任のすべてを免除するような「免責同意書」の条項は、無効とされる点です。つまり、「何があっても一切責任を負いません」という一方的な約束は、法的には通用しないのです。
裁判所は「安全配慮義務」をどのように判断しているか
では、実際の裁判で、裁判所は「安全配慮義務を果たしていたか」をどのように判断するのでしょうか。裁判所は、事故の結果だけを見て判断するわけではありません。事故に至るまでのプロセス全体を精査し、事業者が「専門家としてやるべきことを、きちんとやっていたか」を厳しく評価します。
具体的に裁判所が重視するのは、主に以下の点です。
- 危険の予見可能性: その事故は、プロのインストラクターであれば事前に予見できた危険だったか?(例:天候の急変、ゲストの体調不良の兆候など)
- 結果の回避可能性: 危険を予見した上で、事故を回避するための適切な行動を取ることができたか?(例:ダイビングを中止する、浅場へ引き返す、緊急時の対応手順を遵守するなど)
- 参加者の技術レベルと経験:裁判所は参加ダイバーの技能レベルに応じて注意義務の程度が異なると考えています。特に、参加者が初心者である場合、その技術の低さや、不測の事態でパニックに陥りやすい傾向があることから、ガイドにはより重い注意義務が課されます。初心者に対しては、ガイドは絶えずそのそばにいて動静を注視し、不安感を取り除くとともに、何か問題が発生した場合には即座に適切な指示や措置を行えるようにする義務があるとされています。
- 事前の計画策定と準備:
- ガイドダイバーは、ダイビング開始前に参加者の能力や海況などを十分に把握し、それに応じた的確な潜水計画を策定する義務があります。この計画には、適切な監視態勢を整えることも含まれます。
裁判所は**「あなたのショップが、他の模範的なダイビングショップと同じレベルの安全対策を講じていたか」**を問うのです。ブリーフィングの内容、器材のメンテナンス記録、スタッフの資格と経験、緊急時の対応計画など、日々の安全管理の積み重ねが、万が一の際にあなたの事業を守るための最も重要な証拠となります。
第2章:「免責同意書にサインをもらったから大丈夫」が通用しない理由
「事故の前に、お客様には必ず『免責同意書』にサインをいただいています。だから、万が一のことがあっても大丈夫ですよね?」
ダイビングショップの経営者様から、このようなお声をよく伺います。しかし、法律の専門家から見ると、この考え方には大きな落とし穴が潜んでいます。残念ながら、同意書は、あなたの事業を守る「無敵の盾」にはなりません。
免責同意書の法的な有効性と限界
まず、免責同意書が全く無意味というわけではありません。同意書には、 「ダイビングには、天候の急変や予期せぬ生物との遭遇など、本質的に避けられないリスクが存在します。あなたは、これらのリスクを理解した上で、自らの意思で参加しますか?」 という、お客様へのリスクの告知と、それに対する同意を確認するという重要な役割があります。これは、万が一の際に「そんな危険があるなんて聞いていなかった」という主張を防ぐ上で有効です。
しかし、その有効性には明確な限界があります。同意書がカバーできるのは、あくまで事業者のコントロールが及ばない、やむを得ないリスクについてです。もし事故の原因が、事業者側の不注意(過失)、例えば、器材のメンテナンス不足や、ガイドの不適切な判断にあった場合、話は全く別になります。
消費者契約法が事業者に課す重い責任
ここで大きな壁となるのが「消費者契約法」という法律です。この法律は、専門家である事業者と、一般の消費者であるお客様との間にある、情報量や交渉力の格差から消費者を守ることを目的としています。
ダイビングサービスも、この法律の対象です。そして、消費者契約法は、事業者のミス(債務不履行や不法行為)によってお客様に生じた損害の賠償責任の「すべて」を免除するような契約条項は、無効とすると、明確に定めているのです。
つまり、「私たちのミスで事故が起きても、一切責任は負いません」という一方的な約束は、お客様がサインをしていたとしても、法的には通用しないということです。
【経営者が本当に理解すべきこと】 法的に有効か無効か、というギリギリのラインを攻めた同意書を作成することに腐心するよりも、はるかに重要なことがあります。それは、「そもそも、私たちのショップに安全配慮義務違反(過失)はなかった」と、客観的な事実で証明できるかどうかです。
法廷で本当にあなたを守るのは、一枚の紙ではなく、日々の安全管理の積み重ねなのです。では、具体的にどのような場面で、その安全管理が問われるのでしょうか。次の章で詳しく見ていきましょう。
第3章:事故はどこで起きるか?賠償責任が問われる具体的な場面
ダイビング事故は、単独の大きな原因よりも、小さな見落としや判断の遅れが積み重なって発生することがほとんどです。裁判所は、事故という「結果」だけでなく、そこに至るまでの「プロセス」全体を精査し、事業者の安全配慮義務違反(過失)の有無を判断します。
ここでは、特に賠償責任が問われやすい3つの場面について、経営者が押さえておくべきポイントを具体的に解説します。
3-1. ダイビング前のチェック体制:健康状態の確認とブリーフィングの落とし穴
事故防止の第一線は、お客様が水に入る前の段階にあります。ここでの手続きを形式的なものだと軽視すると、重大なリスクを見過ごすことになります。
- 健康状態の確認(メディカルチェック)の重要性 お客様に記入していただくメディカルチェックシートは、単なる「お守り」ではありません。それは、事業者がお客様の安全性を判断するための最も重要な情報源です。 【法的リスク】: もし、お客様が申告した病歴(例:心臓疾患、てんかん)を見落としたままダイビングを許可し、それが原因で事故が発生した場合、「危険を予見できたはずなのに、漫然とダイビングを実施した」として、事業者の重い過失が問われる可能性が極めて高くなります。 【対策】: チェックシートの内容を必ずインストラクターが確認し、懸念事項がある場合はダイビングを中止させる、あるいは医師の診断書の提出を求めるなど、厳格な社内ルールを定めて運用することが不可欠です。
- ブリーフィング(事前説明)の質が問われる ブリーフィングは、器材の使い方を説明するだけの時間ではありません。その日の海況、水中の地形、考えられるリスク、そして緊急時の対応手順(ハンドシグナルなど)を、お客様が理解できるように具体的に説明する、極めて重要な安全対策です。 【法的リスク】: 「説明が不十分で、危険性を認識できなかった」とお客様に主張されると、事業者側の説明義務違反を問われます。流れ作業のような短時間の説明や、専門用語ばかりで分かりにくい説明は、法的には「説明していない」のと同じと判断されかねません。 【対策】: その日のコンディションに合わせた具体的な説明を行い、お客様の理解度を確認しながら進めることが重要です。
3-2. ダイビング中の監督義務:ガイドの判断と緊急時対応の重要性
水中で頼りになるのはガイド(インストラクター)だけです。ガイドの監督能力と判断力が、お客様の生命を直接左右します。
- ゲストの監視と適切な人数比 ガイドの役割は、ただ水中を案内することではありません。常にゲスト全員の位置や様子を把握し、残圧の確認、パニックや体調不良の兆候などをいち早く察知する「監視義務」があります。 【法的リスク】: ゲストのスキルレベルや当日の海況に対して、ガイド1人あたりのゲスト数が多すぎたと判断された場合、適切な監視が不可能だったとして安全配慮義務違反を問われます。水中でお客様を見失うといった事態は、重大な過失と評価されます。 【対策】: 指導団体が定める基準を遵守するのはもちろんのこと、当日のコンディションやゲストの様子に応じて、より安全を優先した人数比でチームを編成することが求められます。
- 「中止する勇気」と緊急時対応 天候や海況が急変した場合や、ゲストの体調に異変が見られた際に、ツアーを中止・中断する判断は、ガイドに委ねられた最も重要な職務の一つです。 【法的リスク】: 「お客様をがっかりさせたくない」という気持ちから無理にダイビングを続行し、事故が発生した場合、その判断自体が安全配見義務違反と厳しく追及されます。また、事故発生後の救助活動や関係機関への連絡が遅れるなど、緊急時の対応に不備があれば、それも重大な過失となります。 【対策】: 中止基準を社内で明確化し、ガイドには躊躇なくツアーを中止する権限と責任があることを徹底させます。また、緊急時対応計画を策定し、全スタッフが参加する定期的な訓練を実施することが不可欠です。
3-3. 器材・設備の管理責任:メンテナンス不足という“時限爆弾”
レンタル器材の不具合は、直接的な事故原因となります。その管理責任は、100%事業者側にあります。
- レンタル器材の定期的なメンテナンス レギュレーターからのエア漏れ、BCDの給排気不良、残圧計の故障などは、水中でダイバーをパニックに陥らせる致命的なトラブルです。 【法的リスク】: 事故原因が器材のメンテナンス不足であったと特定された場合、事業者が賠償責任を免れることは極めて困難です。「たまたま壊れた」という言い訳は通用しません。 【対策】: 法令やメーカーの推奨に従い、すべてのレンタル器材について定期的なオーバーホールを実施し、そのメンテナンス記録を日付と共に必ず保管してください。この記録が、事業者が管理責任を果たしていたことを証明する唯一の客観的な証拠となります。
- ボートや施設の安全管理 安全配慮義務は、水の中だけではありません。ダイビングボートの乗降時の安全確保(濡れたデッキでの転倒防止など)、適切な救急用品の搭載、店舗施設の安全管理なども、すべて事業者の責任範囲です。
このように、賠償責任が問われる場面は、ダイビングのあらゆるプロセスに潜んでいます。では、実際に起きた事故で、裁判所はこれらの点をどのように評価したのでしょうか。次の章では、過去の裁判例を具体的に見ていきます。
第4章:その「うっかり」が前科に?沖縄の裁判例から学ぶインストラクター個人の刑事責任リスク
ダイビング事故が起きた場合、多くの経営者様が心配されるのは、お客様への損害賠償といった「民事上」の責任でしょう。しかし、忘れてはならない、より深刻なリスクが存在します。それは、安全管理の不備が原因で重大な事故を引き起こした場合に、担当したインストラクター個人、場合によっては経営者自身が「刑事責任」を問われ、「前科」がつく可能性があるということです。
ここでは、実際に沖縄県南城市で発生し、担当インストラクターが有罪となった体験ダイビング中の死亡事故の刑事裁判例(那覇地裁 平成18年3月28日判決)を基に、その厳しい現実と教訓を解説します。
事例:体験ダイビング中の死亡事故(那覇地裁 平成18年3月28日判決)
- 事故の状況:
- インストラクター1名が、研修生1名を補助につけ、7名の体験ダイバー(全員初心者)を引率していました。
- ダイビング中にボートのアンカーロープが外れかけたため、インストラクターはゲストらを岩場に待機させ、約1分20秒間、ロープを巻き直す作業を行いました。
- この間、インストラクターは最も技術が未熟だった被害者から約6.6メートル離れており、近くにいた補助の研修生にも、被害者を特に注意して見るよう具体的な指示は出していませんでした。
- 作業後、被害者がパニック状態で急浮上しているのを発見しましたが、救助は間に合わず、被害者は溺死。死亡前に減圧症を発症していたことも確認されました。
- 裁判所の判断(なぜ有罪になったのか?): 裁判所は、インストラクター個人の業務上過失致死罪の成立を認め、罰金刑(執行猶予なし)を言い渡しました。その理由は以下の通りです。
- 予見可能性: 被害者は経験が浅く技術も未熟であり、些細なトラブルからパニックに陥る可能性は十分に予見できた。
- 注意義務違反(過失): インストラクターには、被害者を常に自身の監督下に置き、その動静を注視し、安全に配慮する義務があった。にもかかわらず、補助者に明確な指示を与えないまま被害者から離れて作業を行い、動静注視義務を怠った。
- 因果関係: もしインストラクターが注意義務を果たし、補助者に適切な指示を出していれば、被害者のパニック兆候や急浮上を早期に発見し、適切な救助を行うことで死亡結果を回避できた相当程度の蓋然性(可能性)があった。
- 特に注目すべき裁判所の指摘:
- 引率人数について: 当時の沖縄県条例の目安(初心者おおむね6人)からわずかに逸脱した1対7という人数比について、判決は「無謀にも1人で客7人に対し指導を行った過失は重大だ」と厳しく断じています。これは、行政のガイドラインギリギリであっても、実質的に安全管理ができない体制は「過失」と評価され得ることを示しています。
- 監視義務のレベル: 裁判所が求めたのは、単に近くにいることではなく、「常に監督下に置き、動静を注視する」という極めて高いレベルの注意義務でした。約1分20秒間目を離したことが、致命的な過失と判断されたのです。
この裁判例からダイビング事業者が学ぶべき教訓
この刑事裁判例は、日々の安全管理の重要性を改めて突きつけます。
- 安全管理の不備は「犯罪」になり得る: 民事上の損害賠償だけでなく、担当したインストラクター個人が刑事罰を受け、前科がつくリスクがあることを、経営者も現場スタッフも深刻に受け止めなければなりません。安全管理は、単なるサービスの問題ではなく、人の生命と、スタッフ自身の人生を守るための絶対的な義務です。
- 行政のガイドライン遵守だけでは不十分: 条例や業界団体のガイドラインは、あくまで最低基準です。裁判所は、それらを満たしていても、実際の状況下で本当にゲストの安全を確保できる体制だったかを、より厳しく、実質的に判断します。特に体験ダイビングのようなリスクの高い活動では、ガイドラインよりもさらに安全側に立った独自の基準(例:より少ない引率人数比)を設けることが、法的リスクを回避する上で賢明です。
- 「一瞬の油断」が命取り: アンカーロープの固定という必要な作業であっても、その間、最も注意が必要な初心者から目を離し、かつ補助者への具体的な指示を怠ったことが、刑事責任に繋がりました。「少しの間だけ」「近くに補助がいるから大丈夫だろう」という**「だろう」判断が、取り返しのつかない結果を招く**ことを肝に銘じるべきです。
- 補助者への明確な指示と連携: 研修生やアシスタントを同行させる場合、彼らに何を監視し、どのような場合に報告・行動すべきかを、事前に具体的に指示し、連携体制を明確にしておくことが不可欠です。単に頭数を揃えるだけでは、法的な注意義務を果たしたことにはなりません。
第5章:訴訟リスクを最小化するための実践的リスク管理策【チェックリスト付き】
これまでの章では、事故発生後の法的な責任について解説してきました。しかし、最も重要なのは、そもそも事故と紛争を未然に防ぐことです。
法的紛争において、事業者の「安全配慮義務違反(過失)」がなかったことを証明するのは、事業者側です。その証明は、日々の地道な安全管理の記録によってしか成し得ません。
この章では、訴訟リスクを最小化し、万が一の際にあなたの事業を守るための具体的なリスク管理策を、「組織体制」「ドキュメント」「オペレーション」「保険」の4つの観点から、チェックリスト形式で解説します。
【組織体制編】スタッフの資格・経験管理と継続的な安全教育
組織の安全文化は、スタッフ一人ひとりの意識とスキルにかかっています。
- ☐ スタッフの資格・保険を漏れなく管理していますか? インストラクターやガイドの指導団体(PADI、NAUIなど)の資格認定証のコピー、有効期限、賠償責任保険の加入状況などをファイルで一元管理し、定期的に更新を確認しましょう。
- ☐ スタッフのスキルレベルを客観的に評価していますか? 資格だけでなく、特定のダイビングポイント(例:流れの速い場所、洞窟など)をガイドするための経験やスキルが十分にあるか、社内で客観的な基準を設けて評価・認定する仕組みが重要です。
- ☐ 定期的な安全教育・訓練を実施し、記録していますか? 「一度教えたから大丈夫」ではありません。救急法の復習、緊急時対応計画(EAP)のシミュレーション訓練、事故事例の共有会などを定期的に実施し、その参加記録を残すことが、組織としての安全意識の高さを示す証拠となります。
【ドキュメント編】法的に有効な申込書・メディカルチェックシート・同意書の作り方
お客様に署名していただく書類は、単なる手続きではなく、法的な防御力を高めるための重要なツールです。
- ☐ メディカルチェックシートを形骸化させていませんか? お客様が健康上の問題(心臓疾患、てんかん等)に「はい」とチェックした場合に、「医師の診断書がなければダイビングをお断りする」といった、明確で厳格な社内ルールを定めて運用することが不可欠です。申告を見落とした場合、事業者の重過失と判断されるリスクがあります。
- ☐ 免責同意書で「リスクの告知」を具体的に行っていますか? 「一切責任を負いません」という一方的な条項は、消費者契約法で無効とされる可能性が高いです。同意書の最も重要な役割は、ダイビングに伴う具体的なリスク(例:「天候や海況の急変」「予期せぬ生物との遭遇」など)を明記し、お客様がそれを理解・納得した上で参加したことを証明することです。
- ☐ すべての書類を適切に保管していますか? 申込書、メディカルチェックシート、同意書などは、法的な時効(損害賠償請求権など)を考慮し、少なくとも数年間は確実に保管する体制を整えましょう。
【オペレーション編】ブリーフィング、器材メンテナンス、緊急時対応計画(EAP)の標準化
日々の業務プロセスを標準化し、記録に残すことが、サービスの質と安全性を担保します。
- ☐ ブリーフィングの内容を標準化し、記録していますか? 誰がガイドをしても、伝えるべき安全情報に漏れがないよう、ブリーフィング用のチェックリストを作成しましょう。その日の海況、注意点、緊急時の手順などを確実に伝え、実施記録を残すことが重要です。
- ☐ 器材のメンテナンス記録を付けていますか? レンタル器材の不具合は、事業者の責任に直結します。レギュレーターやBCDなど、全ての器材について、「いつ、誰が、どのようなメンテナンスを行ったか」を記録するメンテナンスログを必ず作成・保管してください。これは、器材管理義務を果たしていたことを示す最も強力な証拠となります。
- ☐ 緊急時対応計画(EAP)を策定し、周知していますか? 事故発生時の連絡網(海上保安庁、近隣の医療機関など)、スタッフの役割分担、応急手当や酸素供給の手順などを明記したEAPを書面で作成し、店舗やボートの見やすい場所に掲示・常備しておくことが不可欠です。
【保険編】事業内容に合った賠償責任保険の選び方
万が一の賠償請求に備え、適切な保険に加入することは、事業を継続するための最後の砦です。
- ☐ 現在の保険内容を正確に把握していますか? ご自身の事業内容(体験ダイビング、ファンダイビング、ボートダイビング、講習など)が、すべて保険の補償対象になっているか、今一度保険証券を確認しましょう。
- ☐ 補償の範囲や金額は十分ですか? 万が一死亡事故が発生した場合、賠償額は数千万円から1億円を超えることもあります。対人・対物賠償の補償限度額が、想定される最大のリスクに対して十分か、見直しを検討しましょう。
- ☐ 専門家のアドバイスを受けていますか? 保険商品は複雑です。マリンレジャーに詳しい保険代理店や専門家のアドバイスを受け、自社のリスクプロファイルに最適な保険を選択することが重要です。
これらの項目を一つひとつ実践し、記録に残していく地道な作業こそが、訴訟リスクを最小化し、お客様からの信頼を得て、持続可能な事業を築くための最も確実な方法です。
第6章:万が一、事故が起きてしまった後のクライシスマネジメント
どれだけ万全の対策を講じていても、自然を相手にするダイビングでは、事故のリスクをゼロにすることはできません。万が一、事故が発生してしまった場合、その直後の対応(クライシスマネジメント)が、お客様の救護はもちろんのこと、事業の未来、そしてあなた自身の人生を大きく左右します。
混乱した状況下で冷静な判断を下すのは極めて困難ですが、以下の3つの原則を念頭に置き、行動することが重要です。
1. 事故直後の法的対応(証拠保全、関係各所への報告)
最優先は人命救助ですが、それと同時に、後の法的な手続きを見据えた対応も開始しなければなりません。
- 初動対応と関係機関への報告
- 人命救助: まずは負傷者の救護を最優先し、ためらわずに**海上保安庁(118番)**や救急(119番)に通報します。
- 関係機関への報告: 救護活動と並行し、速やかに警察(110番)、そして加入している賠償責任保険会社へ事故の第一報を入れます。この時点では、憶測を避け、客観的な事実(いつ、どこで、誰が、どのような状況か)のみを冷静に報告することに徹してください。
- 「証拠保全」を徹底する 事故直後の現場や書類は、後に過失の有無を判断するための極めて重要な証拠となります。決して手を加えたり、破棄したりせず、ありのままの状態で保全してください。
- 【保全すべき物】:
- 事故に関わった器材一式: レギュレーター、BCD、ダイブコンピューターなど、絶対に分解や調整をせず、そのままの状態で保管します。
- 関係書類: お客様に署名してもらった申込書、メディカルチェックシート、免責同意書など。
- 記録類: 当日のダイブログ、潜水計画書、器材のメンテナンスログ。
- 連絡先: 事故を目撃した他のゲストやスタッフの連絡先。
- 【保全すべき物】:
2. 被害者・家族との誠実なコミュニケーション
事故の当事者であるお客様や、そのご家族への対応は、極めて慎重かつ誠実に行う必要があります。ここでの対応が、後の信頼関係や感情的な対立の大きさを左右します。
- 【やるべきこと】
- お見舞いと共感: まずは、被害に遭われた方へのお見舞いの気持ちと、ご家族への共感を誠心誠意伝えます。
- 窓口の一本化: 対応窓口は、必ず経営者や責任者一人に絞ります。スタッフが個々に憶測で話すといった状況は、情報の混乱を招き、不信感の原因となります。
- 事実関係の定期的な報告: 捜査の進捗など、伝えられる範囲の客観的な事実を、定期的に報告します。
- 【絶対にやってはいけないこと】
- 安易な過失の承認: 「こちらのミスです」「すべて私どもの責任です」といった、法的な責任を認める発言は、その場では絶対にしてはいけません。
- 賠償に関する具体的な話: 保険や賠償金の金額に関する話は、必ず保険会社と弁護士に任せ、「保険会社を通じて誠実に対応させていただきます」と伝えるに留めます。
- 憶測での原因説明: 事故原因が確定していない段階で、「おそらくこうだったのでは」といった推測を話すことは、後の混乱を招くため厳禁です。
3. マスコミ対応と風評被害対策
沖縄という注目度の高い観光地での事故は、マスコミの取材やSNSでの情報拡散に繋がりやすいというリスクを常に念頭に置く必要があります。
- 情報発信のコントロール マスコミ対応の窓口も、必ず経営者一人に一本化します。スタッフには、取材に対しては「代表者からお話ししますので、そちらにお願いします」とだけ答えるよう、事前に徹底しておきます。弁護士に相談の上、公表すべき情報とそうでない情報を整理し、冷静に対応することが重要です。
- ウェブサイト・SNSでの沈黙と監視 事故発生後、自社のウェブサイトやSNSで憶測に基づいた情報発信や反論を行うことは、多くの場合「火に油を注ぐ」結果となります。原則として、捜査機関や保険会社と連携し、公式に発表すべき時が来るまで沈黙を守るのが賢明です。ただし、ネット上の不正確な情報や誹謗中傷については、常に監視し、記録を保全しておく必要があります。
事故直後の混乱した状況で、これらすべてを冷静に判断・実行するのは極めて困難です。だからこそ、事故発生後、一刻も早く弁護士に連絡し、専門家のアドバイスのもとで行動することが、あなたの事業と未来を守る上で不可欠なのです。
おわりに:攻めの安全管理が、最高の経営戦略である
これまでの章で、ダイビング事業に潜む法的なリスクと、万が一の事故発生時の対応について解説してきました。しかし、最も重要なメッセージは、事故が起きてからどうするか、という「守り」の発想に留まらないことです。
法的リスク管理はコストではなく、事業の信頼性を高める投資
今日の「評判経済」において、お客様が最も重視するのは「信頼」と「安心」です。一つひとつの安全対策を徹底し、そのプロセスを記録として「見える化」することは、単なる訴訟対策ではありません。それは、「私たちのショップは、お客様の安全を何よりも大切にしています」という、最も説得力のあるメッセージとなります。
適切なメディカルチェック、丁寧なブリーフィング、万全にメンテナンスされた器材。これら日々の地道な安全管理の積み重ねこそが、お客様からの信頼を勝ち取り、良い口コミを呼び、持続的な事業の成長を支える最高の経営戦略となるのです。法的リスク管理は、コストではなく、事業の信頼性を高めるための「攻めの投資」と言えるでしょう。
日々の運営に潜むリスクを共に管理する「顧問弁護士」という選択肢
しかし、日々の運営に追われる中で、これらの法的要件やリスク管理を経営者様お一人で、あるいは現場スタッフだけで完璧に実践し続けるのは、決して簡単なことではありません。契約書や同意書の内容は本当に法的に有効なのか、スタッフへの安全教育は十分か、緊急時の対応計画に漏れはないか──。その不安は尽きないかと存じます。
そこでご提案したいのが、「顧問弁護士」という選択肢です。
顧問弁護士は、トラブルが起きてから駆けつける「消防士」であるだけでなく、そもそも火災が起きないよう、日頃から共に予防策を講じる「防災パートナー」です。
- 契約書や同意書が、現在の法律に照らして有効か、定期的にチェックします。
- スタッフ向けの安全講習会を、法的な観点からサポートします。
- 緊急時対応計画(EAP)の策定に、法務リスクの視点からアドバイスします。
- そして万が一事故が発生した際には、初動から法的・経営的ダメージを最小化するための的確な行動を共に考え、実行します。
私たちスマートリーガル法律事務所は、沖縄の海を愛し、その魅力を伝えるために尽力されているダイビング事業者の皆様を、法務の力で力強くサポートいたします。
まずは、あなたの事業が抱える不安や課題をお聞かせください。共に、より安全で、より信頼される、持続可能な事業を築くための一歩を踏み出しましょう。
スマートリーガル法律事務所への法律相談はLINEから受け付けています。